この島国の成り立ちの物語は、
今を生きる我々の想像を遥かに超え、
多様性に富んだものだったと考えられます。
数多の民族が海を越え、
長い年月を
かけて根を下ろし、
持ち込まれたものが
複雑に絡み合っていったことで、
日本の礎ができたのです。
日本の各地に生まれる「」
という旅館は、
そんなかけがえのない
先人である
古の海の民に思いを馳せ、
名づけられました。
これから表現される宿たちも
土地に息づくテロワールを吸い込み、
それぞれが異なった
色彩を放つことでしょう。
01.デスティネーション
陸地に血を通わせ、
潤いを与えた瀬戸内海
瀬戸内海の穏やかに波打つ水面。見下ろし中を覗くと、透明度の高い海水の中で真鯛が悠々と
泳いでいることが分かります。しかし、実際は全方位的な激しい圧と流れがあり、常にそれに
逆らい、漂う豊富なプランクトンを食べながら、魚たちは力を蓄え、成長していきます。
そういった環境、生態系こそが、尾道市瀬戸田町の生活、文化、歴史、貿易を主とする経済、
ありとあらゆることの基盤となっているのです。
瀬戸田には古の面影を残す、文字通り“塩” “町”であり“潮”を“待つ”という意味をも内包する
「しおまち商店街」があり、「 Azumi Setoda 」はその入り口からほど近い場所に位置しています。
立派な松の木が立つ風景、潮風が漂う空気の健やかさはもちろん、この土地に住まう人々が日々
訪れる街中にあることで、瀬戸田の生活に触れることができることも魅了された点であり、
「 Azumi Setoda 」を構えた理由でした。
瀬戸田は晴れの日がとても多いことでも知られています。日光を浴び、鮮やかな黄色を纏った
レモンの木が生る農園、山々が広がるパノラマの景色、それらを眺めながら走れる世界有数の
サイクリングロードである瀬戸内しまなみ海道も一興です。
大阪や奈良といった関西地区が日本における政治、社会、文明、文化の種床の一つであるとすれば、
瀬戸内海はその栄養源です。長さ、およそ 6,868km 。ナイル川や、肥沃な三日月地帯のように、
瀬戸内海は人々の動脈となり、様々なものを渡し続けてきました。その中でも瀬戸田は特に、
中世以降、海水運の重要拠点となっていました。
