日本ひいてはアジアにおける海原の交通と文化の大動脈、瀬戸内海。様々な地域や国々との交易に深く関わり、瀬戸内海の交通と文化発展の流れを促すと共に、現在まで続く海の平穏をもたらしたのは、14〜16世紀に活躍した日本最大とも言われる海賊たち「村上水軍」だったと言われています。
襲い、奪い、覇権を得ようとすることが海賊の一般的なイメージだと思われますが、村上水軍の活動はそれとは異なりました。明確な境がないため、放っておけばやがて乱れてしまう海の秩序をつくり、海が日常生活の一部になっている島民たちとその暮らしの安全を守り、潮流や潮目を見極め、多くの人びとを水先へと案内したキーパーソンだったのです。
ある日の初夏の朝。やってきたのは佐島(Azumiから車とフェリーで1時間ほど南東に行った場所)。ゆったりと波が立つ瀬戸内海が目の前に広がる黄金色の砂浜から、一隻のヨットで海原へと出かけました。
日光の照り返し、緩やかで気持ちの良い風を浴びながら、気ままな航路を進みます。しばらくして海の中を覗いてみると、まるで航海のお供してくれているかの如く、たくさんのクラゲたちがた泳いでいる姿を見ることができました。
クラゲは日本最古の歴史書である古事記の中で、混沌とした状態だった世の中が天と地に分かれた際、つまり世界が誕生する時のエピソードの最初期に登場します。そんな始まりの象徴のひとつであり、天恵とも言える存在が、穏やかな海で優雅に泳ぐ様を眺められることは、かつて村上水軍が守り、乱されずに現在まで至っているおかげなのだという実感が湧いてきます。
所変わって場所は大三島。島で一番標高の高い鷲ヶ頭山の麓には大山祇神社(おおやまづみじんじゃ)が鎮座しています。そこには山、海、そして渡航の神である「大山祇神(おおやまつみのかみ)」が祀られており、村上水軍は守護神として篤く信仰していたそうです。
境内には、村上水軍さらには安曇族よりも圧倒的に長い歴史をもつ、樹齢2600年の楠の御神木がうねるようにそびえ立ち、脈々と成長しつつ、神社ひいては瀬戸内海に訪れた人びとを見守り続けています。
しばしの航海と参拝の後、Azumiに戻ると、庭にある東屋の補修が行われていました。建築家や庭師がAzumiにたびたび訪れ、メンテナンスをしているのですが、今回は主に東屋の壁紙の補修。担当してくれている東畑さんに補修内容について聞くと、「今回は壁紙のコーティング材である膠(にかわ)という天然染料の塗り直しですね。膠は水に弱く、かつ扉の開け閉めといった普段の振る舞いだけでも汚れてしまうほどに繊細」と優しい言葉で教えてくれました。
東畑さんは細い筆を使い、壁紙の筆向きに沿って1カ所ずつ、丁寧に膠を塗り直していきます。膠を足しては後ろに下がり、壁紙全体を見渡し、ムラがないかを確認しながら静かに作業を進めていく。その光景を見て、人による小さな作業の積み重ねによってAzumiは存続し、成り立っていることに改めて気づかされました。
平穏、または静謐(せいひつ)。そういった環境、事象は、何も起こらず、揺れ動きもしないことを想起させると思います。だからこそ落ち着く。凪の海も、結界の張られた大木も、厳かな空間もおそらくそうですが、有機物には、何も起こらない中に潜んでいる、繰り返される微かな脈動が確かにあり、それを絶やさないために人が守り、関わっているのです。
歴史を知り、時を跨ぎ、守られてきた自然と対峙し、人の仕事を目の当たりにすることで、そのことが分かってきました。