時速およそ4kmの歩み。休まず、それを絶えず続けることは難しい。しかし半日頑張れば、50km先くらいまでは徒歩で辿り着けると言われています。
対して、様々な交通手段を使えば、簡単に遠くへ行くことができます。ましてや50kmなんてあっという間。それは人だけでなく物もそうです。箱詰めし、機械的な物流に乗せれば、何でも迅速かつ大量に運べる。しかし高速移動には、風土や風との触れ合い、発見や人との出会い、あるいは寄り道という余白がありません。
近年、燃料を使って遠方に効率的に行く、運ぶといった「手段」から逃れ、「周囲」にある文化や資源をみんなで保護しようといった動きが多くあるように思います。ただ、その周囲は定義が曖昧で、どこまでを指すのだろうとも思うのです。もしかしたら、自ら脚が運べて手が届いて見渡すこともできる半径50km圏内が、私たちにとっての守らなければならない場所に該当するのかもしれません。
「今の世の中、手に入れようと思ったら、大抵のものはすぐ手に入りますよね。食材もそう。でも、何でもかんでも揃えられると、ついついお皿に色んなものを乗せたくなるんですよ。綺麗な盛り付けはできるかもしれないけれど、物語がないですし、食材ひとつひとつの味が引き出せないと思うんです。一方、この土地にはこれしかないとなると、それを追求し、良い味を出すことに専念する必要が出てくる」
そう話すのは、Azumi Setodaの新しい料理長に着任したばかりの秋田絢也。彼はまさに、自らの拠点からできるだけ50km圏内で採れる食材を扱うことをモットーとしています。
秋田のモットーが確立したのは、特にフランスの中心から離れたロワールやアヌシーなどの地域のレストランに従事していたヨーロッパ生活時代。キャビアやフォアグラなどの特別視される高級食材が本来的な贅沢なのかという疑問、そこから現地の誰しもが馴染みのある食材を昇華させ提供することにこそ、特別が宿るという確信をヨーロッパの田舎で得たと言います。加えて、秋田が大切にしたいのは「Simplexité(SimpleとComplexitéを混ぜた造語)」だ、とも。
「僕はニンジンの料理をスペシャリテとしているんですが、その下処理には3日をかけています。素材に手をかけず、そのままお出しするだけでは料理人は要りません。素材の味をしっかりと抽出するために仕事はたくさんする。けれども、その複雑さを表に出すのではなく、お皿の上はシンプルにすることを心掛けているんです」
秋田にとって瀬戸田は、一度も訪れたことのない未知の場所でした。しかし、「むしろ何も知らなかったからこそ、行きやすかった」と言います。料理人を志してから転々とし続けている身にとって、その土地にしかない何かを新たに探ることは当たり前なのでしょう。そんな場所で探し当てた食材のひとつが、Azumi Setodaから約40km北上した先に畑がある、しもみん農場のニンジン。そして秋田自身も、未知な環境といちから向き合おうとしているかのように、瀬戸田にある安松ご夫妻が営んでいるサナリー菜園という小さな農園の一画を借り、オータムポエム(アスパラ菜)を育てています。
安松ご夫妻が菜園を始めたきっかけは、料理人の息子さんがレストランで使う野菜を作って欲しいとお願いされたからでした。それを機に、瀬戸田の料理人たちとの縁が増え、現在は料理人それぞれの嗜好に合わせて、様々な種類の野菜を作っていると言います。
有機農業によってしもみん農場で育てられているのはニンジンのみ。その理由について、しもみん農場のしもみんさんは「珍しい食材では、そもそもそれ自体が美味しいのかどうかが判断できません。要するに比較ができないわけです。「誰しもが親しんでいる野菜」だからこそ、本当に美味しかった時、感動するんだと思います」と語ります。
自然な行動やシンパシーは頼り合いと根拠、つまり「この野菜を使う」理由となる必然性を生みます。Azumi Setodaのダイニングは、その媒体。秋田がAzumi Setodaで志すのは、地元の方々が集会を行う場として定着すること。そうなれば、地元の食材にもAzumi Setodaにも瀬戸田にも誇りが芽生えるはずです。
秋田のビジョンはAzumi Setodaを訪れれば、自ずと伝わってくるはずです。半径50kmの拠りどころで育まれた食材は今日も、潜在的な味わいが引き出され、しかし無垢な姿はそのままに、お皿の上に飾られ、食されます。